2011年06月27日

アメリカへ里帰り

行ってきます〜 始めての羽田発、気づいて良かったよ

パソコンチェックしてますのでgmail、それからスカイプ可能です
それでは9日に帰ります
では!
posted by 石本華江 at 20:51| from KAE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

日本人兵士一人死にました

今朝はやくおじいちゃんが死にました
今から慣れない葬式に関わります 今年は本厄ですが、とうとうメインイベントが来たなあ 結婚式は慣れてるけど、葬式は全く何するんだか本当に分からない

一緒に暮らしていたおじいちゃんだから、悲しいのは悲しい
でも、もう中学生の時には病院にいた記憶しかないので、なんだかとうとうこういう日が来たなという感じの方が大きい

今年90歳になったおじいちゃん
大阪で産まれ、育ち、愛媛に来たものの、免許取りにまた大阪戻り(当時愛媛では車の免許は取れなかった)、VIPの運転手してたときに召集され、当初空軍だったが、インドネシアで負傷し、陸軍に
悪名高いビルマのインパール作戦に参加して、2000メートルのアラカン山脈を越えて、黄河みたいななんとか川を越えて、インパール直前で引き返し、イギリス軍に追われながら逃げてきたが、結局捕虜になり、イギリス人将校の運転手していたところ、ミャンマー人の彼女もできたが、敗戦して、日本に帰ることを決意
帰ってきてバスの運転手やってた時に、うちのおばあちゃんと結婚して、長女と弟を授かり、松山に家を立て、2人の子供を大学までやった後、娘が出戻り、孫と4人で暮らしていたが、家の前の小さな道で大学生の運転していたバイクにはねられ、それ以来、言語を発するのが難しくなり、右半身が動かしづらくなり、でもおばあちゃんの頑張りにより、奇跡的な回復をみせていたが、趣味の畑仕事してるときに沢に転落、それ以来病院から出ることはできなくなったのだが、その後看病疲れでおばあちゃんが倒れてしまったことにより愛媛から板橋の病院に大移動
そのあと埼玉の今の病院に移動して、アルツハイマーも進み、私のこともわかっていないようだったが、とにかくすごい驚異的な生命力で、一雄先生のようなにじみ出るようなものがあったが、家族の様々な事情により、死ぬのを待ってるような状況になり、私としては実に複雑な気持ちでいたが、まるでその望みを叶えるかのように、突然死んでしまった

まあ、そんなこともないのだけど、ついついおじいちゃんは全て知っていて、全部分かっていたのではないかと思いたくなるし、今朝ちょうど亡くなった頃に理由もなく目が覚めてしまったのは、おじいちゃんが会いに来たのかなとか考えてしまう
まあすぐ寝てしまったのだけど

たぶんあの人の生命力だと、事故にさえあわなければ100歳なんて余裕だったのだろうが、インパールを生きて帰ってきたあの人はとても潔い死に方をしました
おじいちゃんに直接教えてもらったことは、家に帰ってきたら手洗い、うがいをすること、食事の前には手を洗うこと、ぐらいだが、そのとき以来忠実に守っている
それ以外には間接的に、実に多くのことを学んでいるが、それは言葉にできない類いのものが多い
せめておじいちゃんが話ができるときに、インパールの話が聞きたかったことと(私は戦争オタクだったので)、私が新体操の時に送り迎えしてくれてて、どんなにぐずで待たせても文句ひとつ言わず、私はそれが当たり前だと思ってたけど、そうではなかった、ありがとうと言い逃してしまったことだけが悔やまれる

多分、私がお父さん居なくて不憫でそれでなおさら大切にしてくれたのだと思うが、私がこうして朗らかにいられるのはおじいちゃんの気持ちに依ることが大きいのだと思う

もうすぐおばちゃんの誕生日 いつぞやの誕生日、おじいちゃんと一緒におばあちゃんのために咲いた、咲いた、チューリップの花が、と歌ってあげた
その日が懐かしい
posted by 石本華江 at 22:37| from KAE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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